2020年3月10日火曜日

市川和則さんについての投稿

ぼくが大学進学のために東京(住んでるのは埼玉)に来てからというもの、見田くんとほんとに毎週遊んでいた。見田くんが、そのたびに、よく市川くんについて話してくれていた。見田くんはそのとき、『かーくん』と呼んでいたと思う。かーくんすごいよ。ギターうまいよ。今度3人で遊ぼう。記憶は曖昧だが、そんな感じだったと思う。市川くんは、ぼくらの中学の先輩だ。そしてぼくらのひとつ上だ。当時、専門学校でギターを学んでいた。ぼくよりも一年先に東京に来ていたのだ。ぼくは市川くんとは、中学の時から全然話したことがなかった。呼び方も和則先輩、とよそよそしい。市川先輩よりは近い感じはするが、まあでもよそよそしい。しかも、そんなふうに本人を呼ぶ機会はほぼなかった気がする。それだけしゃべったことがなかったのだ。仲のいい先輩の友達ではあったが、和則先輩が、どんな人なのか、なにが好きか、なにが得意か、どんな人と付き合っていたか、どんな私服を着ていたか、などなど、中学の時に気になることはそんな感じだったか、それらの印象が全くなかったため、和則先輩が、まさかギターなんて派手なことをやるとは思えなかった。後から考えると、見田くんのギターの師匠は市川くんのお父さんなので、市川くんがギターをやるのは必然なのだが。中学二年の、冬の寒い午前中、二時間目が終わったくらいの休み時間だったか。仲のいい先輩がぼくのクラスの廊下に来て、「岳、みてみて、日向小次郎!岳もやってみ、日向小次郎!」と言って体操服の半袖を肩までまくってへらへらしていたときに、後ろでいっしょに肩まで半袖をまくって、同じくへらへらしていたのが和則先輩なのだ。はっきりいってその印象しかなかった。ちなみに仲のいい先輩はバスケ部。和則先輩はテニス部だ。*1 それをやるならせめてサッカーをやっていてほしいとの思いからか、ぼくがそのとき日向小次郎になることはなかったのだが、そのときも、和則先輩とは一言もしゃべっていない。和則先輩こんな感じでふざけたりするんだなーと思ったような気がする。仲のいい先輩が日向小次郎なら、和則先輩は、半歩下がっていたため、『サブ日向小次郎』といった具合だった。そのサブ日向小次郎が、まさかギターなんて。それでも、毎回見田くんは、かーくんに会うことを勧めてくる。ぼくは、見田くんと2人で遊ぶ方が楽しい気がしていたと思うので、あまり和則先輩には会いたくなかったと言うと言い過ぎかもしれないが、そんな感じはあったと思う。まあでも流れは和則先輩に会う方向に流れていった。見田くんの家だったか、和則先輩の家だったか、最初にあった場所も忘れてしまったが、久々に会った和則先輩は、とてもやさしく、自然な人当たりの良さで、すごく会話しやすい、いっしょにいてとても楽しい人だった。中学の時からか、高校、あるいは東京に来て変わったのか、わからないが、すぐに和則先輩がすきになった。そして、和則先輩は、ギターがものすごくうまかった。今の市川くんはほぼ弾かないと思うが、当時はエレキギターがメインで、しかもとんでもなく上手で、あれ弾いてー、これ弾いてー、と、ずっとギターを弾かせていた記憶がある。サブ日向小次郎として、ぼくの記憶の片隅にこびりついていた程度だった和則先輩は、1日で、とても魅力的な人に様変わりした。和則先輩のやさしさに甘えまくって、その日のうちに、敬語はとれた。かーくんとふざけて呼ぶ度に、頭を軽く叩かれ続けたので、和則先輩という呼び方はしばらくは変わらなかった気がするが、それからは、3人でも遊ぶし、和則先輩と2人でもよく遊んだ。いろんなCDを聴いたり、ギターとハーモニカで遊んだり、自分がこういうことをやりたいから今こうしてるんだという話もよくしてくれた。専門学校にいる友達がギタリストのことを呼ぶときに、ラストネームだけで呼ぶのが気に入らないみたいな下らない話もしてくれた。パット・メセニーならメセニー、ラリー・カールトンならカールトンということだ。この話はけっこう印象的で、ぼくはそのあとからは、意識的にしっかりと、パット・メセニー、ラリー・カールトンと呼ぶようにしている。パットメセニーは、たまにメセニーと呼んでしまうこともあるかもしれない。気をつけていきたい。birdさんの曲のギターのカッティングがかっこよくて、できるようになりたいといって教えてもらったこともあった。和則先輩の家に行く度に、和則先輩のギターを荒っぽく借りて、何回もやったが、「一歩一歩テンポよく歩くイメージで!」という素晴らしいアドバイスも虚しく、結局弾けなかった。ギターって難しいなと思った。少し経って、専門学校を卒業してから、学校で習っていた先生とスタジオに入って練習しているという時期があった。お互いにソロを取り合って話して終わるというものだったらしいが、その練習の話や先生の話をよくしてくれていた。和則先輩は、「ギターはバッキングできるけど、ハーモニカはできないから辛いよね。」と言っていた。確かになー、と思った。それからかなりの年月が経ってから、あるレコーディングの現場に行って、ギターの人と話していたら、その人が市川くんの先生だった。先生の話を何度も何度も聞いていたので、「おおおーーーーっ、先生ーーーーっ!!!!」と、すごい大きい声で驚いたら、プロデューサーに鋭すぎる目で睨まれて、そのあとは小声で話したことをよく覚えている。その日は、プロデューサーのぼくに対する注文もきつかった。話せば彼も驚いてくれるだろうと、一瞬説明しかかったが、いまいちわかり辛いため、断念した。和則先輩は、ぼくがいまだに住んでいる川越にも来て、ラーメンと餃子を2人で食べたこともあった。もちろんかーくんを勧めてくれた見田くんも、夜な夜なよく会っているようだった。その後は、いっしょにライブするようになったりもして、仲は深まった。始めたばかりの『羊毛とおはな』のライブにmitatakeを誘ってくれて、mitatake初?の、知り合いのとことかではない、普通のライブハウスデビューをさせてくれたのも、和則先輩だった。それから市川くんはほんとにがんばって、羊毛とおはなは誰もが知る二人組になった。ぼくは、徐々に市川くんがみんなにとられるようなさみしい感覚に少しなったりしたが、でもほんとにうれしかった。市川くんは有名になっても変わらずやさしくて、ぼくがいつものように終電をなくして助けを求めたら、「今から出掛けて帰らないから、適当に寝てっていいよ。」と、本人不在でも泊めてくれたり、GLAYのTERUさんにコンサートに招待してもらったときに関係ないぼくまで連れていってくれたり、羊毛とおはなのライブやレコーディングで、ぼくのハーモニカを使ってくれたり、ぼくは、市川くんにとてもお世話になってきた。見田くんもそうだろう。ジャンクフジヤマのライブの度にエレキ毎回借りてたし。市川くんに、ありがとうとかはほんとに言いづらいので、こういうときに言ってしまいたいものである。市川くん、ありがとう。お世話になってます。市川くんと見田くんは、数年前から、『BOCOS』というユニットを始めた。BOCOS はすぐに活躍して、いろんなフェスでやったり、CDも出したり、ドラマの音楽とかもやったりしてるのか。見田くんばっかりフェス出てずるいじゃんーと言ったりしてはいるが、ぼくよりもずっと市川くんと仲良く、夜な夜な密会を繰り返していた2人が、恐らく長年の夢であった、二人でなにかやるというのを叶えられて、ぼくはそれもうれしく思っている。まあでもぼくが二人の活動でほんとに悔しいと思ったのが、地元富士宮のイオンでBOCOSが演奏したときに、司会が、『久保ひとみ』さんだったことだ。久保ひとみさんは、静岡のローカルタレント?という位置づけでいいのかわからないが、ニュースにバラエティーにCMにと、テレビで見ない日はない、ラジオもやっている、ちょー人気者だ。静岡のスターである。毎日毎日、静岡県内のお茶の間に笑いを届け続けている。大好きである。静岡に帰って久保さんをみると安心する。その久保さんとごいっしょしたのだ、あの二人は!羨ましすぎる。ラジオかテレビの中継だったような気がするが、確かではない。でも、久保さんとごいっしょしたのは確かだ。何度考えても羨ましくて悔しい。久保さんとまたごいっしょするときは、ぼくも誘ってほしい。頼む、頼む市川くん、頼む!市川くんといえば、ぼくは、羊毛とおはなの、『おはなさん高岡凱旋ライブ』に、市川くんの『お話し相手』として、ついていったことがある。10年以上前だ。その様子を全四回にまとめた日記がある。アラピアという、高岡の人に言うと全員に、大変だねーと言われる宿泊施設に泊まったり、おはなさんの不安な運転で移動したり、富山ブラックを食べに連れていかれたり、あたかも3人と共に旅をしている気分を味わえる仕上がりになっている。機会があれば、市川くんのことをもっとよく知れる内容になっているので、是非読んでいただきたい。mitatakeは、ある時期からおもいっきり突き放されはしたが、羊毛とおはな、そして、市川くんと共に歩ませていただいてきた。最近市川くんには全く会わなくてさみしい気はするが、ぼくのことを3日おきくらいには思い出して気にかけてくれているだろう。そうぼくは信じている。ぼくのほうは、市川くんのことを考えない日なんてほぼない。だって、『岳彦』と、名前をフルで呼んでくれるのは、親と姉と親戚と市川くんだけだ。しかも正確なイントネーションで。BOCOSで、完全に見田くんに市川くんを独占されてる感じになっているが、ぼくだって市川くんと会いたいし遊びたい。今年は誘ってみよう。何回も断られそうだがめげずにがんばろう。いろんな方のサポートなどでほんとに毎日忙しそうな市川くん。体調に気をつけ、引き続きがんばってほしいものである。そして、mitatakeとも佐野岳彦とも末長くどうか宜しくお願いいたします。 


羊毛とおはなの日が今年も盛り上がりそうです。
今年の内容が発表されました。今年も4月8日は羊毛とおはなを聴いて過ごしましょう。
https://gamp.ameblo.jp/youmoutoohana/entry-12581015566.html

その他、市川くんは、見田くんとのBOCOSや、いろんな方のサポートでライブをしています。探して是非行ってみてください。素敵です。ぼくも久しぶりにどこか観に行きたいと思います。
http://youmoutoohana.com/









市川くんと写真を撮る時間がなかったので、思いでの写真や品を公開させていただきます。

3枚目は、公開していいのかわかりませんが、渋谷で羊毛とおはなをやったときのものです。市川くん、許してください。

5枚目は、左から市川くん、ぼく、見田くんです。地元富士宮の先輩がやっていたバーでの演奏時です。エレキです。

6枚目は、市川くんがフライヤーを作るときに描いてくれたmitatakeです。ぼくだけフライヤーのとは違う絵です。フライヤーのも好きですが、これもかなり気に入ってます。


そして、市川くんが、限定公開してくれている、mitatakeゲスト回の、『羊毛とおはなラジオ』もまだの方は是非!
https://t.co/ebTStpXviu



市川くん、忙しいなか、温かく深みあるコメント、本当にありがとうございました!!!


*1     更新翌日、BOCOSくんから、羊毛師匠は、陸上部(途中でなくなった)からのパソコン部(帰宅部)だ、という情報いただきました。完全に勘違いしてました。市川くん失礼いたしました。

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