2020年3月17日火曜日

松延康さん 農学博士

もう20年くらい前。知り合いの中古楽器屋にふらりと立ち寄ると、アコギ一本で歌っている若者がいた。知らない曲だったけど、気持ちいいメロディーで国道16号がどうのこうのという歌詞だった。いいな、と思った。というか、すごいな、と思った。ちゃんと世界があった。たまたまBlues File No1(内海利勝、西浜哲男、妹尾隆一郎)のライブを企画していたので、前座に出ないかと声をかけた。それが見田だった。大学生くらいかなと思っていたら中学を出たばかりだと聞いて驚いた。第一印象は、おっさんだった。そして、後から聞いた話だけど、見田はどっかの調子いいオヤジが適当なことを言ってやがる、と思ったらしい。


それでも話は進み、ライブ当日。見田があどけない顔をした男の子を連れてきた。それが岳。こっちはまだ中学生で十分通用する子だった。最初の挨拶で「妹尾さんって、HOHNERのカタログに載っているあの妹尾さんですか?」みたいなこと言うのも顔に似合っててかわいかった。その日が、mitatakeの初舞台になった。ライブの後、岳は妹尾さんの前に呆けたような顔をしてちょこんと座っていた。おっさんの見田は、内海さんや西濱さんの前では、やっぱり目をキラキラさせた年相応の男の子だった。ユニット名のない彼らに見田と岳だから、とりあえずmitatakeでいいよって言ったのは僕だ。まさか、こんな安直な名前でずっとやるとは思っていなかった。


 その日から、彼らとは何十回も一緒にイベントやったり遊んだりしてきた。東大和のライブハウス、原宿の新潟のサテライト館、国立の専門学校、小平のバレエスタジオ、富士宮での初ライブも一緒に行ったね。なんでだかドイツ人がいて、彼にドイツ語で挨拶させて、それを僕が適当に通訳したんだけど「ドイツにはフジノミヤンゲンという街があって私はそこから来ました。ここが富士宮だと聞いてとても驚いています。同じような名前の街で素晴らしい演奏が聴けてとても嬉しいです。」みたいな適当なことを言ったら店の全員が信じちゃったのもおかしかった。そうそう、最初のCDのプロデュースをしてレコーディングに新潟にも行った。ふた回りくらい歳は違うけど、二人と一緒にいるのは本当に楽しかったし、僕は彼らが自慢だった。だから、もっと売れて欲しかったし、そうしてあげたかった。彼らにしてみれば、きっとあちこち引っ張り回されて大変だったと思う。 


そんな関係が10年ほど続いただろうか。いつしか、僕も仕事が忙しくなり、イベントを企画したりすることもなくなった。そして、彼らも大人になり、会う機会もだんだんと少くなり、そして、なくなった。風の便りに、二人それぞれが素晴らしいミュージシャンたちと一緒に活躍していることは知っていた。とても嬉しかった。もう一度言うけど、僕は彼らをとても自慢に思っているんだ。



見田っち、岳ちゃん。知り合って間もない頃、まだまだ子どもだった君たちは、僕のことを「なんかすごい人」のように勘違いしていた。で、僕は思ったんだよ。このかわいい二人にずっとずっと「なんかすごい人」って思われていたいってね。 


さて、今回のコンサートは流れてしまったけど、それはそれで残念だけど、でも、通過点の一つだ。近いうちに必ずあるはずの富士宮ワンマンで、しばらくご無沙汰のmitatakeに会えるのを楽しみにしてるよ。



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