2020年2月26日水曜日

真城めぐみさんについての投稿

「たけ、真城さんといっしょにやったりしてるの?」6、7年前、もしかしたらもっと前かもしれない。いや、あとかもしれない。ぼくの音楽活動など、ほぼ興味のないはずの一番上の姉が、実家に帰ってだらだらしていたぼくにそう切り出してきた。六歳上の一番上の姉は音楽が好きだ。ぼくはこの一番上の姉に影響を受けている部分がかなりある。一番上の姉は、クラスメイトは聴かないような音楽のCDやビデオを(現在は富士宮市の旧芝川町という静岡のど田舎地区なのでなおさら)、当時小学生でもっと縁がないであろうぼくに、半強制的に見せ、聴かせ、こういうのがいいんだよという自分の基準を少しずつ植えつけてきた。そのお掛けで、ぼくはいろんな音楽を知ることになり、好きになったりもするのだが、そんな教育をしてきたわりに、一番上の姉はあまりぼくのやっていることに関心がない。もっと関心を持ちなさいよと思うのだが、そんな一番姉が、ぼくのやっている音楽のことについて触れてきた。一大事だった。おいおい、なんだなんだ、今頃か一番姉よ!弟はまだまだではあるがわりとそれなりに頑張っているぞ。今ごろ関心を持つな。CDくらい聴け!ライブを観にこい!などなど、心の中ではいろんな感情が爆発してはいたが、ぼくはそれを悟られないように、「やってるよ。たまにね。」と、気にしていない雰囲気を懸命に醸しだし、今だらだらしてるんだから話しかけないでよといった『ふり』を続けた。色々聞いてこい!答えてやるぞ!やっている年月だけはまあそれなりに長いと言えば長いんだ。なんでもこい!歌についてとかか?ハーモニカか?いいぞ!疑問や気になることはいったほうがいいぞ!さあこい一番姉!時間なら、ある!ぼくは次の一番姉の言葉を待っていないふりをしながら万全の状態で待ち構えていた。だが、一番姉は、ぼくの『セリフ』を聴き終わると、へー、と一言言ったか言わないかくらいの間で、どこかへと消えていった。別に実家に住んではいないし、いつ来たのかもわからなかったが、彼女はそのままどこかへ消えていった。今のは一体なんだったのか。なにを聞きたかったのか。どんな質問が来ても答えられるように、自分の音楽の浅い知識や浅い経験を走馬灯のごとく頭の中を駆け巡らせていたというのに。かっこ悪いので引き留めるわけにもいかず、そのままぼくはだらだらしているふりをするしかなかった。心には、ぽっかりと、穴があいた。心にあく穴は、ふつうは、ずっといっしょにいた友達が引っ越して遠くにいったりとか、けっこう時間がかかっているものが無くなったりしてあくものだと思うが、ぼくの心には、かなりすぐに、あいた。そして、ぼくは、一番姉に、ぼくの音楽の話題について触れられたので、気が少し動転していたのだが、だんだん冷静に戻ると、あることに気づいた。「たけ、真城さんといっしょにやったりしてるの?」、「たけ、真城さんといっしょに」、「たけ、真城さんと」、「たけ、真城さん」、「け、真城さん」、「、真城さん」、「真城さん」、真城さん!真城さんなのか!弟じゃなくて真城さんなのか一番姉よ!!一瞬でも自分の音楽に興味を持ってくれたのかと勘違いしたぼくがバカだった。バカだ。ぼくはバカだ。バカだったのだ。ぼくの心の穴はすぐに埋まった。あくのもすぐだったが、埋まるのもまたすぐだった。ぼくが真城さんを昔から知っているのは一番姉の影響だろう。直接これが真城さんだよと教えられてはいないだろうが、周辺の音楽を少々拷問的に聴かされていたため、そういう音楽がよいと刷り込んでいただいていたため、自然といつの間にか当たり前のように知ったのだと思う。なので一番姉が『真城めぐみ』に関心があることも当たり前なのだ。それなのに、自分の音楽についに一番姉が興味を持ったのかと勘違いしてしまった自分が情けなかった。「たけ、真城さんといっしょにやったりしてるの?」こう言われたら、それはもう、真城さんに興味津々なことは、明らかなのである。ふつうの人は、気づく。だが、ぼくはその時、冷静ではいられなかった。一番姉に夢を抱いてしまった。一瞬でも一番姉に夢みてしまった自分が恥ずかしくて悲しかった。一番姉がなぜもっと真城さんについて聞いてこなかったのかは謎だが、まあ恐らく必死に隠そうとしていたにも関わらずぼくがめんどくさそうな雰囲気を醸し出してしまっていたためなのだろうが、全く興味のない弟へわざわざ聞いてしまうくらい、真城さんは影響力が抜群なのだ。一番姉に限らず、真城さんは、いつでもどこでもなんどでも人気者である。いっしょにやっている「BLUES LAB」というブルースバンドでも人気だし、他で共演しても人気だし、TwitterやInstagramでも人気だし、ぼくが見る限りちょー人気者なのだ。mitatakeによくいらっしゃるお客さんが、ぼくが真城さんとやっている『BLUES LAB』というブルースバンドのライブに来てくれたときの、終演後のぼくへの第一声が、「真城さんといっしょに写真とりたいんだけど頼んできてくれない?」だ。おかしい。気にする人は気にする。せめてもう少し包み隠しながら言ってほしい。真城さんに頼んで何枚か撮ってもらったあとに、その人は、ぼくに言った。「入るなら入ってもいいよ。」おかしい。すごくおかしい。気にしてる気にしてる、ぼく気にしてますよーと思った。思ったが、思ったのだがぼくは入れてもらってまた何枚も撮った。ぼくにはプライドなんてなかったのだ。入れてもらってって言っちゃってるし。真城さんの人気はもう嫉妬もする気になれない。なんだかほんとにうまく言えないが、質のよい人気なのだ。羨ましい。真城さんに最初にお会いしたのは、mitatakeが、シンガーソングライダー『堂島孝平』さんのライブのオープニングアクトをさせてもらったときだ。真城さんは堂島さんのバンドにコーラスで入っていた。打ち上げの時に、同じくバンドに入っていたギタリストの「八橋義幸」さんと、真城さんと見田くんとぼくの4人の席になって、すごく緊張したが、2人に色々な話を聞かせてもらったのを覚えている。真城さんは歌が素晴らしいし、コーラスの仕事も膨大なのだが、若かったぼくは、自分がメインで歌うときと、コーラスの時に心がけている違いはなんですか?と聞いた。真城さんは、「コーラスのときは、歌の方に寄りそうようにすることかな。」と言っていた。ぼくは、未だに覚えているというところでもわかるとおり、なんだかその一言がすごく心に残った。真城さんはもしかしたらその時何となく答えたのかもしれないが、そんなこと言ってた?って絶対言うと思うが、というかそれってバックで演奏する人みんな心掛けていることなのかもしれないのだが、昨年真城さんに初めて1曲だけだがコーラスしていただいたとき、ものすごく気持ちよかった。久しぶりに夢心地だった。ぼくに、ぼくなんかにも、たしかに、真城さんは寄りそってくださっていた。これかあー、と、十何年を経て、この言葉の重みを重々と感じた。その後、堂島さん関連で何度かお会いし、堂島さんの紹介で先ほど出てきた『BLUES LAB』というブルースバンドで真城さんとバンド仲間になり、定期的に真城さんに会うようになった。真城さんとか、真城さんがもう25年もやっている『ヒックスヴィル』というバンドとか、別に、ぼくだって好きだ。初めてお会いしたときとかも、悪いけどこっちは、うわあー、真城さんだー!ってなってるし、何度会っても、言葉や顔には出さないが、真城さんいる!いま真城さんそこにいる!みたいになるし、もっと、なんていうか、その、前から好きなんです的に接してみたりしたい。したかった。だが、会った初日の打ち上げで目の前に座られ、思いの外何回もお会いする機会は訪れ、息をつく間もないまま『バンド仲間』になってしまい、前から好きなんです的に接することは、もう不可能となった。だっておんなじバンドにいてそんな雰囲気を出していたらおかしい。真城さんがやりづらい。まわりもやりづらい。ぼくもやりづらい。機会はうかがっていたが、BLUES LABが始まった時点でぼくはそれを諦めた。BLUES LABももう9年。真城さんには少しは慣れた。だが、ぼくにはまだ、やらなくてはならないことがある。それは、もうずっと前から所有している、ヒックスヴィルのファーストアルバム『TODAY』とか、ヒックスヴィルと片寄明人さん(ギター)高桑圭さん(ベース)白根賢一さん(ドラム)のバンド『GREAT3』の前身バンドといったらいいだろうか、『ロッテンハッツ』のアルバム『ロッテンハッツ』とかに、サインをしていただくことだ。そんなタイミングは、はっきり言って、ない!いや、タイミングがないと言うより、もうそんなサインをいただく雰囲気になんて、どんなことがあっても、ならない!そんなのは、おかしいのだ、そんなのは!だが、真城さんがこれを読んでくれることを願って、真城さんに会うときには常にCDを携帯することにしたい。そして真城さんからこの話が出たときに、おもむろに、照れつつも、少し微笑みを投げ掛けながら、CDを取りだし、マジックを添えて手渡し、日付と、『タケへ』と付け加えていただき、サインをかいていただくのだ。なんとも図々しい計画だが、これしかない。成立させるにはこれしかないと思う。そう思っている。その機会をうかがっていきたい。真城さん、宜しくどうぞ。ここで、知っている方は、あれ?ヒックスヴィルにもロッテンハッツにも、同じくBLUES LABの『中森泰弘』さんいるよね?中森さんにはサインいいの?みたいになっているかもしれない。わかっている。ぼくだって中森さんがいることはわかっている。わかってはいるが、この、その人についてぼくが書くシリーズでは、極力その人以外の人にスポットをあてないようにしているのだ。だから、ぼくは中森さんのことだって好きだ。中森さーんって思ってる。だけど、我慢している状態なのだ。勘違いしてほしくない。中森さんを軽視してはいない。素晴らしい。中森さんは素晴らしい。会いたい、中森はんに会いたくなってきた。冷静でいられず『中森さん』ではなく、『中森はん』になってしまった。敬意、そして親しみを込めてそのままにしておきたい。『KinKi Kids』のアルバムにハーモニカで参加させてもらうことがあった。『真心ブラザーズ』の『YO-KING』さん作詞作曲で、堂島さんアレンジの曲だ。そのレコーディングの時、ぼくのハーモニカと真城さんのコーラスが同じ日に録音された。ぼくのハーモニカを録り終えてから、真城さんのコーラスだった。ぼくは終わったので帰ってもいいのにそこに居座って見学していた。堂島さんと試行錯誤をしながら声を納めていく真城さんがかっこよかった。もう一人いた方がいいということになり、居座っていたぼくも少しだけ声を入れさせてもらった。この日、真城さんのレコーディングする姿を初めて見ることができ、同じ作品に参加させてもらい、尚且つ、真城さんの声と自分の声が重ねて録音されるという、三重罰ならぬ、三重御褒美をいただいた。いろんな意味でとても印象的で幸せな日だった。真城さんは、ぼくには、やさしい。ぼくが川越に住んでいることを知っていて、いつも終電を気にしてくれる。歌も素晴らしい。圧倒される!ほんとに!いっしょにやってても、たまに聴きいってハーモニカを吹くのを忘れる、時もあるし、聴きたいから吹かない時とかもある。あと、おもしろい。おはようございますとあいさつしたその時からなんか笑わしてくる。爆笑させられる。そして、かわいらしい。ファンの方はみんな言う。ぼくも思う。何年たってもかわいらしい。なんか悪いとこを見つけられない。ずるい。ずるいなあ。いいなあ。うらやましい。こんな人と音楽させてもらえる機会をいただけて、感謝してもしきれないと思う。ので、感謝はそこそこにして、真城さんと今後も精一杯音楽を楽しませていただきたいと思う。もう一度言うが、中森さんのギターは大好きだし、中森さんのことは大好きだ。そこは勘違いしないでいただきたい。真城さんにサインをいただいたあとに、中森さんのもとへと照れながら向かおう。


 真城めぐみさんは、25年続けている『ヒックスヴィル』をはじめ、『ましまろ』『HEA』『ジョンB&ザ・ドーナッツ』などなどさまざまなユニットをやってまして、さらにコーラスとして、たくさんのアーティストのレコーディングやライブに参加しております。 今は、このライブがおすすめでしょうか。

 【ヒックスヴィル LIVE】

2020年4月5日(日)

 東京 代々木『Zher the ZOO YOYOGI』 

「ヒックスヴィル Birthday Party」 

LIVE:ヒックスヴィル(アコースティック)

 OPEN 16:00/START 17:00

初ライブの日、結成記念日公演 メール予約受付中です

 詳細 https://t.co/5e6osOQ1K5

ヒックスヴィル是非!! 真城さん愛溢れるコメントほんとうにありがとうございました!!




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